短編「ハロウィン小話」

 だぼだぼの緑のハイネックと、ゆるゆるのデニム素材でできた青いつなぎ……という服装で、彼女は彼の自宅に遊びに来た。

 玄関先でお色気度数ゼロの萌え袖状態になっている両手を広げ、彼女こと笹野原夕は、花の綻ぶような笑顔で言う。

「ハッピーハロウィン!」

 彼ことゲーム開発者の蒔田修一は、玄関のドアを開けた格好のまましぱしぱと目をまばたいた。

 ──笹野原が着ているのは、ハロウィン的なオバケとは何一つ関係のないゲームキャラ・緑のアイツのコスプレらしい。

 蒔田が「それだ」とわかったのは、笹野原が緑のアイツのシンボルであるアルファベットの「L」が刻印された特徴的な帽子を被っていたからだ。

『ビッグシルエット』と呼ばれる今年流行のだぼだぼな服装は、すらりと背の高い彼女には不思議と良く似合っている。

 肩まである黒いミディアムヘアは垂らしたままで、ル×ージに寄せるための妙なメイクをしているわけでもない。……帽子だけを除いてみると、あまりコスプレらしいコスプレとは言えない姿である。ファッションがらみのイベントは全力で凝って楽しみたがる笹野原らしくない適当ぶりだった。仕事が忙しかったらしい。

「……あー……そういえば今日はハロウィンだったな。

 ネットでちらっと見たきりだったから完全に忘れていた。……今22時か。途中どこかに行ってきたのか?」

 という蒔田の問いに、行ってきましたー! と、笹野原はニコニコ上機嫌顔で頷く。

「大学時代の友達5人で行ってきましたよー……そう、渋谷にねっ!!」

「うっそだろおい。

 トラックひっくり返されたあの野猿の集まりに行ってきたのか……」

「トラック? 何の話です??」

「あったんだよさっき、そんな事件が。ネットニュース見てなかったのか?」

「見ていませんでした。そして気づきませんでした……うーん、どこであったんだろうなあ」

 と、笹野原はきょとんと首をかしげる

 愛らしい仕振りの彼女に靴を脱ぐよう促しながら、蒔田は玄関ドアの鍵を閉めた。

「……その、大丈夫だったのか? ビール瓶を割って騒ぐくらいしか能のない連中でごった返していたんじゃないのか? 何か酷い目に遭わされたりとかは……」

「ふふっ、心配してくれるんですか?」

 居間の床にカバンを置いた笹野原が、蒔田の背中にまとわりつく。

 その格好のままお互いの手を絡めた姿は明らかに仲の良いカップルそのものだが、いかんせん片方が緑のアイツなのでキマらない。笹野原はのほほんとした笑顔を浮かべながら、つなぎのポケットをゴソゴソと探り始めた。

「私みたいに身長デカくて大声で騒ぎそうな雰囲気があると、普段はそんなに絡まれないんですけどね。ただ今日みたいに殺人的に混んでいる時はどうしても無差別型痴漢が発生しちゃうので、渋谷では護身用にコレをつけていました。コレ! 付けヒゲ!」

「そんなリアルでフサフサなヤツなんかあるのか……よく分からんが、君が無事楽しめたみたいでよかったよ」

 テレビ前のクッションに座り、ゲームの電源をなんとなく入れながら蒔田が笑う。

「……しかし、よく渋谷から新宿まで辿り着けたな。

 タクシーも電車も混みすぎていて使えなかったんじゃないか?」

「使えませんでしたね。だけど、友達の弟さんが車で迎えに来てくれたんです。渋谷で八百屋をやっているとかで、お仕事用の大きな車で来てくれたんですよ。本当に助かりましたー」

「渋谷にあるのか……八百屋が……」

「ありますよー。昔からのお店って、結構都内に転々と残っていたりしません? 有楽町の駅前や新宿駅の東口を出たあたりにも、昔ながらの果物屋さんがあったりしますし。

 再開発で土地を手放したら続けられなくなるかもーみたいなことは言ってましたけど、当面は続けるつもりでいるみたいですねえ」

 そんなことを言いながら、彼女はおもむろにル○ージの服を脱ぎ出した。

 一瞬ぎょっとした蒔田だったが、すぐに笹野原が服の中に服を着ていたことに気がついてホッとする。

「本当はハロウィンコスプレといったらこれだと思ったんですよねー……じゃーん! ナース服ー!」

「本物、着て来ちゃったのか……」

「着て来ちゃいました、蒔田さんに見てもらいたくて!

 厳密には『実習着』っていう、看護大学生が着るやつなんですけどね。

 ほら、形はナース服と同じだけど色が真っ白じゃないでしょう? あと胸元に大学名ついてるし。一目で学生だと分かるようになっているんです」

 そんなことを言いながら、笹野原は蒔田の前でくるりと体を回転させた。

 パンツスタイルの上下はおなじみのナース服そのものだが、よく見ると確かに薄いストライプ模様が入っている。

「へええ、そんなものがあるのか。知らなかったよ」

「実習着を着た看護大学生なんて、普通は病棟にしかいないですからねー」

 笹野原の説明を聞きながら、蒔田は笹野原の服装を観察する。そしてポツリと一言、

「……なんというか、メディックだな……」

「ええー、そんな反応ですか。可愛くないですか?」

「可愛くないといえば嘘になるんだが……それ以上に医療班感が凄い」

「そんなあああ」

 笹野原は口をとがらせて、しゅんと肩を落とした。そのまま居間にあったクッションの上に座り込む。ちょうど蒔田と隣り合って座る形だ。

「残念です。蒔田さんにナース属性はなかったんですね……」

「みたいだな。言われるまで気づかなかったが、本当に全然ないんだと思う」

 そんなあああ、と笹野原は更に口を尖らせた。

「じゃあ蒔田さんは何が好きなんです? リクルートスーツとか?」

「それもない」

「高校の制服」

「……暗黒の青春時代を思い出して死にたくなる」

「あー、それは私も同じですね。死にたくなります。

 うーん、じゃあ全身タイツとビキニアーマー猫耳メイドの中ではどれが好きですか?」

「君は俺を一体何だと思っているんだ……全部ない。というか特定の服を見て興奮する仕組みという仕組みにピンとこない。むしろシチュエーションの方が大事だと思う」

「シチュエーション?」

「……むしろ君はどんなのが好きなんだ? 今日渋谷で色々見ただろう。擬人化男子系ゲームのコスプレをした男とかいたんじゃないのか?」

 会話の雲行きが怪しくなってきたことを察知した蒔田がそれとなく話題を変える。笹野原は大人しくそれに従ってうーんと首をかしげて考え始めた。

「うーん、いたかもしれないけどあんまり印象に残っていないです。……なんだろう……今日は女の子達の気合の入った格好に目移りしちゃって、男の人の格好をあんまり見てなかったなあ。私は何が好きなんでしょうか。イギリスで人気の裸バニー? 違うなあ……平昌冬季オリンピックモルゲッソヨとか??」

「懐かしいネタだななおい。というかなんでいきなりそんなキワモノネタばっかり出てくるんだ。普通スーツとか白衣とかギャルソンエプロンとか、そういうのが先に出てくる話題だろうに……」

 蒔田は苦笑しながら乙女ゲーム屋らしい真っ当な意見を述べた。いつの間にか起動が完全に終わっているゲーム機のコントローラーを持って、なんとなくホラーゲームを選択する。

「ハロウィンかあ……もともとは悪霊を避けるために悪霊に仮装するイベントだったと思うが、昨今はゲームキャラのコスプレでもいいのか。恐怖とは程遠いイベントになってしまったな」

「ですねえ。

 ちゃんと血まみれの化け物のコスプレしてる人も結構いましたけど……そういえば蒔田さん、普通にゾンビゲーもできるんですね。怖かったりしないんですか?」

「ホラゲーで怖いって気持ちにはあまりならないな。

 映画でも小説でもそうなんだが、『怖がらせよう』という意図が見えるものにたいしてあまり恐怖を感じないというか」

「えええーっ! そうだったんですか……どおりで普通にゾンビゲーも出来ちゃうわけですね……。あ、じゃあ蒔田さんは何が怖いんですか? ひょっとして怖いものが……ない……?」

 笹野原は信じられないものを見るような目で蒔田を見上げる。蒔田は苦笑交じりに首を振って否定した。

「触ると死ぬようなものは普通に怖いな。ヒグマとか、雷とか……あ、あと国民保護に係る警報のサイレン音か。あれが鳴った後に武力攻撃に巻き込まれるのかと思うとゾッとする」

「……なんですか。その一番最後の不穏な名前のヤツ」

 笹野原が思わず眉をひそめて問う。蒔田は着ていたパーカーのポケットからスマホを出しながら、

「国が武力攻撃から国民の生命、身体又は財産を保護するため緊急の必要があるときに鳴らすサイレンらしいんだが……聞いてみるか?」

 と、スマホを操作して内閣府のHPを開いた。そして『国民保護のための情報伝達の手段』というページにあった『サイレン音の再生』をタップする。

 次の瞬間再生された『サイレン音』に、笹野原は思わず目を見開いて背筋を泡立たせた。

「……怖っ!! 怖い!! なんですかこの本能に直接『クる』感じの超不快な不協和音は!!」

「そう思わせるように作られたサイレン音だから、不快なのは仕方ないんだろうなあ。

 俺も初めて大学のデザイン論か何かの授業でこれを聞いた時には心臓が止まるかと思った。『怖がらせようとする意図があるもの』だと、このサイレンクラスじゃないとあまり怖くはならないな。

 ゲームの中で表現される恐怖はなんだかんだでプレイ続行可能なレベルに調節されているからコントローラーを放り投げたくなるような恐怖はあまり持ちえないし、なによりゲームはそのゲーム越しに作り手の顔が見えてしまって……」

「ああ……ゲーム開発者だとそういうあるあるってありそうですね。それにしても今の音は本当にびっくりしました……うう、夜に怖いの聞いちゃったあ……」

 笹野原はよよと泣きまねをして見せながら、床の上に置いてあった自分のカバンからコンビニ袋を取り出した。

「お酒でも飲んで楽しくなろ……」

「うわ、今日はまたずいぶん度数の高そうなものを買ってきたな」

「明日休みなんですもん。ちょっとは羽目を外したいんです」

「俺は明日仕事だから付き合えないぞ」

「いいですよー別に。私が飲みたいだけだもーん」

 なんてことをうそぶきながら、笹野原はつまみなしで度数9度の某有名チューハイを飲み始める。

「怖いものの話はもういいや。ゲームやりましょうゲーム。心に負ってしまった傷をいやすにはゾンビゲームが一番いいんですよ」

「そんな豆知識は一度も聞いたことがないんだが」

 そんな他愛もない雑談をぼつぼつしながら、二人はゲームに興じ始める。

 ***

「……あ。そうだ、忘れていましたー」

 日付が変わり始めたころ、笹野原はふいにゲームで遊んでいた手を止めて、ポーズボタンを押した後に自分のカバンの中を漁り始めた。

「なんだなんだ、どうしたんだ」

「コスプレ、帰り際の友達からもう一個貰っていたんでした」

「もう一種類……?」

 と、蒔田が嫌な予感をおぼえて眉をひそめたときにはもう遅かった。じゃーんという笹野原の声とともに『それ』が目の前に広げられる。

「ま……待て、夕。この凶悪なシルエットの服はなんだ? ……え?? え??」

「なにって、ナース服ですよー」

「これはナース服なんかじゃないだろ!!」

 蒔田は思わず声を張る。笹野原が広げて見せた『ナース服』は、色こそ白いが露出度という点では水着を遥かに上回り、完全にエロ装束のカテゴリーに入ってしまう代物だ。

 ピュアな人なら「布地を多めに買うお金がない人の着る服かな?」くらいの感想も抱くかもしれない。

 ……とにもかくにも、そういうものだ。そういう種類の布切れだ。

「えへへへー、ナース服のコスプレですよ、ほら、白いニーハイソックスと、ナースキャップだってちゃんとついていますし。

 ナースキャップはですねー、細菌感染の原因になるからって廃止されているところが多いんですよー。都内の病院ではもう被ってるところほとんどないんじゃないかなー」

 ……と、ニコニコ顔でどうでもいい説明を始める笹野原の顔はもう完全に酔っ払いのそれだ。

 会話をどこで切ろうか迷っている蒔田をよそに、笹野原はまだ説明を続ける。

「それでー、院内感染の原因で廃止されたものと言えば、お医者さんのネクタイも同じ理由で廃止されつつあるんですって。医療現場はどんどんつけるものに厳しくなっているんですよねえ。

 ……で、蒔田さん。どうですかコレ。これならエロくもないし、いい感じのコスプレじゃないですか?」

「これがエロくないだあ!? はあっ!!??」

 と、蒔田はキレ気味に反論した。ここはキレねばならぬと彼は思った。

 こんな格好で彼女が渋谷を歩いたら、スクランブル交差点はバナナとポン菓子をばらまかれたニホンザルの猿山よりも酷いことになるだろう。

 不良上がりの蒔田にはそのさまがありありと想像できた。この酔っ払いには危機感が足りぬ。間違いは正さねばならぬ。

「ええええー? 男の人って、全裸に近い格好だと却ってエロさを感じないって聞いたこ」

「どこ情報だよ!!」

「ナースステーションでお医者さんが言ってました」

「……。……医療職とエンジニアを同じにするな! 裸を見慣れた職種の人間がどう思うかは知らないがな! こういうのは! 普通に! エロイんだよ!!!!」

「そっかー、エロいのかあ」

 笹野原は素直に納得した。そして不意にジト目になり、上気したほほをぷくっと膨らませながら、

「……じゃあこれを着たら蒔田さんは『可愛い』って言ってくれますか?」

「……。……あぁ!? 君は一体何を言っているんだ、これは『可愛い』とは別ジャンルのものだろ!!」

「あははは、冗談ですよー。帰り際に友達に押し付けられたやつだから、どのみち着るつもりはなかったんです」

 笹野原はひらひらと手を振って笑う。そろそろ遅いし、シャワー浴びて寝ないとですねと言いながら、彼女は浴室方面へと去っていった。

「……った、悪女が去った……」

 長大息をつきながら、蒔田はほっと胸をなでおろした。心臓はまだバクバクしている。

 ──恋人に近い関係性なのだから、そういうことがあってもよかったのかもしれない。

 だが、普段からただゲームをして泊るだけだった関係性を、今日からガラっと変えるような心の準備が今の蒔田には出来ていなかった。

(とりあえず、ゲームするか……)

 蒔田はスマホを開いて、最近知人から勧められた適当なゲームをポチポチさせて遊び始める。

 ──この時点で、賢い彼はよく考えるべきだった。

 彼女から目を離してしまった、ということを。

 酔っ払いは数秒先の行動が読めないということを……。

 マンションの外では救急車のサイレンが鳴り響き、路上では酔っぱらった女が服を脱ごうとして警察に止められている。

 そうかと思うと珍妙な仮装をしたカップルが無理やり回送中のタクシーに乗ろうとして逃げられて、ゲラゲラ笑いながらピンク色の電飾が煌めくホテルへと入っていく。

 2020年のイベントを前にして厳しく巡回をしている警察になんの罪もないサラリーマンが引っかかって職質をされてうんざりしていた。

 そんなこんなのなんだかんだで、今日も今日とて、東新宿

 

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